将棋アンテナ 棒銀くん
  • 田丸 雑学堂

    田丸 雑学堂 (田丸昇 九段)さんのXデータ

    @NoboruTama0505
    将棋棋士の田丸昇(九段)です。約50年の棋士人生で得た経験や知識を基に、将棋界の情報や裏話、雑学などを書きます。私が関心を持つ将棋以外の分野をたまに題材にします。若い頃に撮った写真や所有している写真も載せます。コメントをお待ちしています。
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    • 開始した日 2023年9月17日
    • 住所 東京都
  • 森本レオが死去した9月。ある週刊誌が森本の「終活」を紹介した。「お金を使わずに早く死んでいくのが今のテーマ。いい時代に役者として楽しめたので、そっと消えたいと思っています。散歩の途中でベンチに座って、寝たまま逝きたいですね」と語った森本。「あるがままの死」を望んでいた……。
  • 森本レオは2020年以降の田丸懇親会に、コロナ禍や自身の体調不良によって、ずっと欠席していた。ところが25年5月の会に久しぶりに顔を見せた。写真左は、挨拶する森本。元気そうな様子だった。写真右は、流行の角換わり腰掛け銀を指している。私たち会の参加者たちは、森本を見る最後の姿となった。
  • 田丸は森本レオを東京・荻窪の将棋クラブにたまに案内した。写真左は、2013年の頃。右から森田正光(相手の女性はアマ二段)、森本(相手の大学生はアマ四段)。写真右は、強い人と指してとても楽しそうな笑顔を見せる森本。以前は定跡から外れた型破りの将棋を好んだが、当時は正統な居飛車を指している。
  • 写真は、2017年の「田丸懇親会」。左から田丸、森本レオ、会の発起人の森田正光(お天気キャスター)。森本の棋力は四段、森田は三段。両者の将棋はいい勝負だった。森本は知識欲が旺盛で、電子辞書や専門書でいろいろなことを調べていた。そこで仕入れた興味深い話を、とうとうと語ったものだ。
  • 田丸は2009年から年2回、将棋関連の懇親会を東京・中野の料理店で開いている。中野まで1駅の高円寺に住む森本レオもメンバー。写真は、森本が17年に田丸の弟子の小高佐季子(右=当時15)と指した光景。10年に心筋梗塞の治療を受けたので、棋力は以前より少し落ちたが、小高と熱戦を繰り広げた。
  • 田丸が1997年に取材した森本レオは、「将棋って、2人の対局者で探偵小説を作るようなもの。どっちが刑事でも犯人でもいいですよ。円満に勝ったり負けたりしたい。それが今の僕の将棋のポリシー」「僕が俳優をずっと続けてこれたのは、金銀桂香の駒のように役柄を使い分けてきたこと」などと語った。
  • 森本レオが初めて教わった棋士は内藤國雄。平手での指導は、とても勉強になったという。中原誠、米長邦雄、羽生善治とは将棋イベントで指した。写真(将棋雑誌より転載)は、1986年に林葉直子女流王将就位記念で森本との記念対局(平手戦)。森本は大健闘し、終盤で林葉の猛追を振り切って見事に勝った。
  • 森本レオは芸能界で将棋の強豪として知られた俳優の岡田裕介(写真=元東映会長)、荒木一郎と指して遜色なかった。長門裕之、大滝秀治、小松方生とも指した。なお、森本が1971年に結婚した女優の森和代は、岡田が主演した70年のデビュー映画「赤頭巾ちゃん気をつけて」(原作・庄司薫)で相手役を演じた。
  • 森本レオは在住する東京・高円寺のスナックに通い、将棋好きの客たちと指した。やがて「連れて来たよ。早大の将棋部員だから強いぞ」との声。森本は相手を学生たちに変えて真剣に指したが、何局指しても負け続けた。ただ強者との荒稽古に満足そうで、「また来てよ」。彼らの名前は新井田、小島……。
  • 森本レオが将棋に興味を持ったのは32歳の頃。将棋好きの芸能関係者に「将棋の筋が読めなくて、脚本がよく読めるな」と皮肉を言われたのがきっかけ。その一言で発奮した。棋書を読みまくり、実戦を数多く重ねた。初めの1年間は寝ても覚めても将棋のことばかり考えていた。やがて有段の実力をつけた。
  • 森本レオは愛知県名古屋市の出身。日大芸術学部を卒業後、地元ラジオ局の深夜番組でDJを務めた。放送中に「オレ」を連発して注意されると、「レオ」と言い替えたのが芸名の由来。28歳で再上京し、大学の先輩の脚本家・市川森一の伝で多くのドラマに出演した。ほのぼのとした演技で人気俳優になった。
  • 俳優・ナレーターの森本レオ(写真)が9月4日に83歳で死去した。原因不明の突然死だという。映画やテレビドラマでの個性的演技、クイズ番組で穏やかな口調のナレーションなどで、人気を博した。その森本は将棋を愛好し、芸能界きっての腕前だった。親交があった田丸が、森本の思い出を振り返ってみる。
  • 小山玲央四段は2011年3月の高校時代、岩手県釜石市の実家は津波で流された。仮設住宅の暮らしでは、ネット将棋で鍛えた。後年に大震災について「つらかったけど精神的に強くなり、みんなで協力して乗り越えた自信が将棋にも役立っています」と語った。そして、23年に編入試験に合格して棋士になった。
  • 3月11日はB級1組順位戦の最終日。対局者たちは余震が起きて集中力を保つのが大変だったが、深夜まで奮闘した。最も遅い終局は午前2時57分。そんな状況でA級昇級を果たした屋敷伸之は、「考えているときに盤が揺れるのがつらかった」と語った。
    なお、12日は三段リーグ最終日だったが延期された。
  • 2011年3月11日には、東京・千駄ヶ谷の将棋会館で10局の対局が行われていた。震度5の強い揺れが起きると、部屋の建具や照明器具は落ちなかったが、安全のために対局を約1時間中断した。16時に再開したが、余震が断続的に起きて将棋盤が揺れた。そこで夕食休憩を前倒し、18時まで計3時間も中断した。
  • 2011年3月11日14時46分。東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はマグニチュード9と世界最大級で、東北地方から関東地方にかけて震度7から5の強い揺れを観測した。津波や原子力発電所の事故も起き、未曾有の大震災となった。東北から遠く離れた東京でも、少なからず影響を受けた。
  • 1998年9月の将棋会館の火事は、不審火の疑いがあった。5階の出火場所は火の気がなく、普段は人気もない。1週間前にも小火が起きた。2階道場で負け続けたアマの人が、腹いせに火をつけたとの噂が後日に出たが、真相は定かではない。消防署は将棋連盟に、防犯カメラを館内に設置することを指導した。
  • 東京の将棋会館で火事が発生すると、館内にいた棋士、職員、将棋ファンら100人以上は外に逃げ出した。消防車が何台も出動して消火にあたった。幸いにケガ人はなく、5階の一部を焼いた程度の小火ですんだ。現場検証が終わると、火事発生から1時間ほどで対局が再開された。出火原因は何だったのか…。
  • 公式戦の対局が火災報知器の誤作動で中断したことは、以前にも稀にあった。しかし、1998年9月8日に東京の将棋会館での対局で、報知器のベルは誤りではなかった。将棋連盟の職員が火事の発生を大声で伝え、対局者らに避難を呼びかけた。火元は5階の裏階段で、白い煙が窓からもうもうと噴出した。
  • 8月18・19日に長崎県長崎市のホテルで行われた王位戦(藤井聡太王位ー伊藤匠二冠)第4局で、2日目の未明に館内の火災報知器が繰り返し作動する事態が起きた。対局者や関係者らは避難したが、誤作動であったことが後に確認された。そんな影響によって、対局開始時間は9時から11時に変更された。
  • 写真は、左から司会を務めた高橋茂雄(サバンナ)、田丸、女流棋士の山口恵梨子。山口は出産のためにしばらく休んだが、番組に元気よく復帰している。その山口には、公式戦の西山朋佳との対局で好記録がある。私はそうした背景をヒット曲の題名に例えて、「愛は勝つ」と形容した。正解は番組にて。
  • 「将棋フォーカス」の番組で、田丸は「注目している女流棋士はいますか」と問われ、磯谷祐維(いそや・ゆい)女流二段と答えた。各棋戦で活躍し、先日は初対局の福間香奈に勝った。タイトル戦にいずれ登場することだろう。写真(田丸撮影)の左は、2年前の磯谷。髪を染めて個性的な風貌だ(現在は黒)。
  • 現在の女流二強は、西山朋佳白玲(写真左・田丸撮影)と福間香奈五冠(写真右・将棋誌より転載)。両者はタイトル戦で何回も激突し、対戦成績は福間の58勝51敗(4不戦敗を含む)。実は福間ー西山の対戦数より多いのは126局。前掲写真の4人の女流棋士の中の2人。※記録はいずれも8月10日時点。
  • 2年前の女流棋士パーティーで中井広恵は、「タイトル戦で藤井聡太を破るような女流棋士が出てほしい」と語り、後輩たちにエールを送った。その中井が1993年にプロ公式戦で棋士に初めて勝つと、メディアで大いに話題になった。現代では女流棋士の実力が向上し、公式戦で棋士に勝つことは珍しくない。
  • 写真左は2年前の女流棋士パーティーの光景。左から蛸島彰子、清水市代、中井広恵、斎田晴子。中でも清水と中井はタイトル戦で何回も激突し、平成の女流棋界を盛り立てた。元女流棋士の林葉直子(写真右)もタイトル戦で活躍し、作家としても活動したが、1995年に将棋連盟を退会して芸能界に転身した。