将棋アンテナ 棒銀くん
  • 田丸 雑学堂

    田丸 雑学堂 (田丸昇 九段)さんのXデータ

    @NoboruTama0505
    将棋棋士の田丸昇(九段)です。約50年の棋士人生で得た経験や知識を基に、将棋界の情報や裏話、雑学などを書きます。私が関心を持つ将棋以外の分野をたまに題材にします。若い頃に撮った写真や所有している写真も載せます。コメントをお待ちしています。
    • フォロワー 3,152
    • フォロワーの増減 (最近3日間) -2
    • フォロー 3,320
    • ポスト数 773
    • 一日のポスト数 (最近) 1.7
    • 一日のポスト数 (全期間) 0.7
    • リプライ (返信) 比率 0.0
    • 開始した日 2023年9月17日
    • 住所 東京都
  • 今年の7月下旬。元テニスプロ選手の平木理化が詐欺の疑いで逮捕された記事が新聞に載り(写真)、テレビでも報道された。ただ本人は「身に覚えがない」と否定し、平木をよく知るテニス関係者も「ありえない」と語った。24年前に盤上とテニスコートで交流した田丸も、「何かの間違い」だと思いたい……。
  • 平木理化はクラブハウスで高橋道雄に平手で指導対局を受けた(写真)。平木は「試合以上に緊張する」と言ったが、三間飛車に振って堂々と指した。高橋は「競っているときは何も考えない。リラックスするほど体が動く」との平木の言葉に頷いた。あれから24年後の今年7月、意外な記事が新聞に載った。
  • 写真は、田丸が会員の都内テニスクラブ。左から平木理化プロ、平木の父親、テニス歴が20年以上の棋士の高橋道雄、田丸、女流棋士の中倉彰子。平木は身長157センチと小柄だが、コート上では大きく見えた。ショットはかなり威力があり、私と高橋は「打球音がわれわれとはまったく違う」と驚いたものだ。
  • テニスプロの平木理化は、将棋好きの父親の影響で子どもの頃に将棋を覚えた。海外の試合では磁石盤を持参し、待ち時間に指した。テニスと将棋は、相手の動きを読む点で同じだという。そして、ネット上の棋力認定テストを受け続けて五段と認定され、羽生善治竜王、森内俊之名人署名の免状を取得した。
  • 田丸が「将棋世界」編集長だった2002年。将棋連盟の職員から「珍しい職業の女性が棋力認定テストで五段免状を取得した」との連絡を受けた。その女性がテニスプロの平木理化(写真)。1997年の全仏オープン混合ダブルスで、インド人選手と組んで初優勝。私はテニス好きの棋士との交換レッスンを企画した。
  • 1999年9月、全米オープン混合ダブルスで初優勝した杉山愛の祝賀会が開催された。写真上は祝辞を述べた先輩プロの松岡修造。田丸も招待されて出席(写真下)。杉山は「大きな自信となり、シングルスでも優勝できる予感がする」と挨拶。杉山はその後、女子ダブルスで活躍し、4大大会で3回優勝した。
  • 1996年11月、田丸は杉山愛を将棋会館の特別対局室に案内した。写真上の左は羽生善治(相手は村山聖)。杉山は室内にみなぎる緊張感に居心地の良さを感じ、30分ほど観戦した。やがて対局が終了し、羽生が勝った。写真下は感想戦後の光景。両者は97年に「将棋世界」誌で対談し、勝負の心構えを語り合った。
  • 田丸はテニスプロの杉山愛と、取材を通して親しくなった。写真は、1996年の全日本テニス選手権の決勝光景。杉山は1セット目を取られたが、挽回して優勝した。粘り強さが身上だった。私は同年11月に、杉山から「将棋の対局を実際に見てみたい」と依頼された。そこで千駄ヶ谷の将棋会館に案内した。
  • 写真は、1993年に「将棋世界」誌に載った。将棋を愛好するテニスプロの杉山愛(左=当時18)に、棋士の富岡英作は定跡を教えたり易しい詰将棋を出題した。杉山が好きな駒は、縦横に動く飛車。テニスでも難球を追いかけてコートを走り回る。やがて杉山は実力をつけ、世界大会で活躍するようになった。
  • 田丸は1993年の秋、友人のテニス誌編集者から「杉山愛ちゃんが将棋を好きみたい」と聞いた。杉山は17歳でテニスプロとなった。海外の試合では磁石盤を持参し、試合の待ち時間にコーチや選手と指したという。そこでテニス好きの棋士の富岡英作と一緒に、神奈川・藤沢の杉山のホームコートを訪れた。
  • 田丸は1977年に27歳でテニスを始めると、熱中してクラブに通った。それが将棋にいい影響が及んだ。79年に順位戦でB級2組、81年にB級1組へ昇級した。将棋の研究生活と、体を動かすのがいいバランスになった。写真は、テニス仲間と行った軽井沢での合宿。ネット際のボレーが得意技だった。
  • 田丸は27歳の頃にスポーツに急に目覚め、草野球、ゴルフ、テニスを始めた。中でもテニスに熱中した。都内のクラブに入会し(写真)、毎週のように通った。青空の下でボールを追って体を動かすのはとても爽快だった。当初はもちろん下手だったが、練習と実戦を重ねると、次第に上達していった。
  • 田丸は40年前と同じく奈良県明日香村を自転車で回った。写真左は、段々畑が広がる穏やかな光景。手前の朝風峠は木々が高く聳えている。写真右は、万葉集でも歌われた「大原の里」。田園地帯に菜の花が咲いている。明日香村は京都などと違って、時間が止まったように森閑としている。また行ってみたい。
  • 写真は、蘇我氏の氏寺として6世紀末の頃に創建されたという「飛鳥寺」の本尊。飛鳥大仏の通称で知られ、日本最古の釈迦如来像。645年に中大兄皇子(後に天智天皇)らが宮中の儀式の最中に、蘇我入鹿(馬子の孫)を殺害した「乙巳(いっし)の変」が起きた。飛鳥寺の近くには入鹿の首塚がある。
  • 田丸は2013年3月、40年ぶりに奈良県明日香村を訪れた。写真は、権力を振るった豪族の蘇我馬子の墓と云われる、花崗岩で積み重ねられた「石舞台古墳」。中は空洞になっていて入れる。昔、狐が石の上で踊った話から石舞台と名付けられた。蘇我は仏教の普及に努め、血筋を引く聖徳太子を摂政に推した。
  • 田丸は古代史に興味を持った1973年2月。奈良県明日香村を訪れ、自転車で遺跡を巡った。豪族の蘇我馬子の墓と云われる「石舞台古墳」、聖徳太子の生誕地の「橘寺」、一帯を展望できる「甘樫丘」(写真)、林の中にある「天武、持統(夫妻)天皇陵」など。高松塚古墳の壁画は閉鎖されて見られなかった。
  • 写真は、1972年に奈良県明日香村の高松塚古墳で発見された壁画に描かれた女子群像。品のよい瓜ざね顔、極彩色の衣(上着)と裳(スカート)、手に持つ柄のついた団扇など、1400年の時代を越えて「飛鳥美人」がよみがえった。ただ発見から約30年後、カビの発生によって壁画が劣化したのはとても残念だった。
  • 国際教育科学文化機関(ユネスコ)が奈良時代の「飛鳥・藤原の宮都」を世界遺産に登録する見通しになった。宮殿跡や仏教寺院跡、豪族の墓など、奈良県橿原市、桜井市、明日香村に遺跡が点在している。中でも1972(昭和47)年3月に明日香村の高松塚古墳で発見された壁画は、古代史ブームを巻き起こした。
  • 結婚披露宴で配られた記念写真。新郎の扇子は升田幸三「手眼」。新婦は羽生善治「一歩千金」。
    女流棋士の山根ことみから新郎新婦に贈られた「五月五日」の色紙。
  • 写真は田丸が祝辞を述べた光景。「将棋は1対1の戦いというイメージがありますが、相手が何を考えているのかと、想像するゲームでもあります。将棋を熱烈に愛好した俳優の渡辺徹さんは、将棋は恋愛に似ていると言いました。新郎新婦もお互いの気持ちに寄り添って、夫婦生活を営んでください」
  • 写真・左から2人目は、新婦の母の幸美さん。とても明るく元気な方ですが、女手ひとつで娘を育てた苦労話を口にすると、思わず落涙し、新婦も「ウルッ」ときたようです。ちなみに優菜さんは田丸のITの師匠.このX(旧ツィーター)の立ち上げを難なくやってくれました。また困ったらお願いします。
  • 結婚披露宴の出席者は、両家の親族と友人を合わせて約25人。小人数だがその分、出席者の距離が近くなって親しみ合った。和洋のコース料理はとても美味しかった。中でも新婦の郷里の山形県で獲れた天然真鯛を焼き上げた土鍋ご飯は絶品だった.写真は、真鯛をバースデイケーキに見立てたもの。
  • 「八芳園」は1万坪以上の敷地に豊かな緑と花に被われ、「四方八方、どこを見ても美しい」ので名付けられた.江戸時代は大久保彦左衛門の屋敷だった。写真は結婚式場「壺中庵」の入口で、作家の遠藤習作が命名。新郎の宏史さんはアマ三段の腕前。都内の将棋クラブに通い、「職団戦」にもA級で出場。
  • 写真の中央左は、新郎の宏史さん、右は新婦の優菜さん。新郎は将棋を愛好し、田丸が主宰する将棋会のメンバーである。新婦も最近、将棋を習い始めた。実は、二人が入籍したのは昨年の5月5日。そして結婚披露宴も今年の同日。私の誕生日に合わせての慶事となり、私は二重の喜びにひたった。
  • 田丸は5月5日に76歳の誕生日を迎えた。例年は神奈川県厚木市に住む母の昭子(99)、妹の一美(74)=写真=に会うのが恒例だが、母が特養老人施設に入って時期がずれた。同日は東京・港区白金台「八芳園」で開かれた友人の結婚披露宴に出席。最近は慶事よりも法事が多く、浮き浮きした気分になった。