将棋アンテナ 棒銀くん
  • 田丸 雑学堂

    田丸 雑学堂 (田丸昇 九段)さんのTwitterデータ

    @NoboruTama0505
    将棋棋士の田丸昇(九段)です。約50年の棋士人生で得た経験や知識を基に、将棋界の情報や裏話、雑学などを書きます。私が関心を持つ将棋以外の分野をたまに題材にします。若い頃に撮った写真や所有している写真も載せます。コメントをお待ちしています。
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    • 開始した日 2023年9月17日
    • 住所 東京都
  • 順位戦は名人戦の予選リーグに当たる。伝統と格式があるとはいえ、一棋戦だけのランクで棋士生命に影響を及ぼしている。ただ棋士や棋戦関係者から疑問に思う声は少ない。現実問題として、棋士の引退を順位戦以外で制度化するのは難しい。ちなみに囲碁棋士の引退は任意で、以前には90代の棋士もいた。
  • 田丸は2008年度のC2順位戦で降級点の累積が2期に(当時58歳)。65歳までの現役延長を望んでフリークラスに転出した。待遇よりも雇用を優先した。現在のフリークラス棋士(34人)のうち、私と同じ選択をした棋士は約半数いる。その意味で、順位戦に50年も出場して引退した青野照市のような例は少ない。
  • 田丸が日本将棋連盟理事だった1992年、名人戦主催者の要請で順位戦のスリム化を図った。その一環でフリークラスを設けた。順位戦を離脱してフリークラスに転出すれば、原則として定年を65歳に延長した(従来は60歳)。その後、92年度の順位戦出場者(名人を含む)は126人だったが2023年度は138人と微増に。
  • 降級点やフリークラス制で棋士生命は延びた。将棋ファンの中には「勝負の世界なのに厳しさに欠ける」との声もある。ただ日本将棋連盟の定款には「将棋の普及発展を図る」の条文がある。その目的を達成する事業が棋戦の主催、アマへの普及活動、棋書の発行など。棋士の存在意義は対局がすべてではない。
  • 将棋の棋士は、戦後の1946年に始まった「順位戦」のランクで現役期間が左右される。当初はC級2組から降級は即引退だったが、1期の不成績で落ちない「降級点」(現行は累積3期で降級)が設けられた。やがて「フリークラス」制度が定められ、順位戦から離脱しても一定の年齢や年数で現役続行が可能に。
  • C級2組順位戦で降級した71歳の青野照市は、年齢規定で引退が内定した。現役期間は50年、A級在籍は通算11期。今年2月には通算800勝と大きな実績を挙げた。青野は「現役として半世紀、それなりによくやった。ただまだ引退したと思っていません。残った対局(竜王戦など)に全力を尽くします」と語った。
  • 2023年度の順位戦が3月で終了。B級1組からC級2組の昇級者(計11人)は、30代3人・20代7人・10代1人(18歳の最年少棋士の藤本渚)と若い世代で占められた。A級からC級2組の降級者(計15人)は、30代3人・40代2人・50代6人・60代3人・70代1人(71歳の最年長棋士の青野照市)と中高年が多かった。
  • NHKのテレビ将棋には根強い視聴者がいるが、視聴率は人間の視力程度(1%)と言われたものだ。その将棋番組の視聴率が一度だけ約5%に上がった。放送日は1989年1月8日。前日に昭和天皇が崩御して年号が平成になったばかりで、大半のテレビ番組が追悼特集の中で、NHK教育テレビは通常番組だった。
  • 2006年のNHK杯戦(豊川孝弘ー田村康介)の対局の中盤で、豊川が▲2九歩と自陣に打った手が「二歩」の反則となった。局後の検討では「あかん(阿寒)湖」と無意識に口走った。その後、将棋番組で「先手が優勢(郵政)民営化」「両取り(オードリー)ヘプバーン」などのダジャレを飛ばして人気棋士となった。
  • 田丸の弟子の櫛田陽一は、1989年のNHK杯戦1回戦・高橋道雄との対局で2時間も遅刻したが勝った。以後も中原誠、島朗らの強豪を破って四段で初優勝した。その後、テレビ対局での遅刻規定が新たに設けられた。所定の時刻に遅れた場合、罰金、不戦敗、次期出場停止などの処分が課せられるようになった。
  • 1989年5月、田丸はNHK杯戦で解説者を務めた。対局者は高橋道雄と自分の弟子で初出場の櫛田陽一。時間になっても櫛田が来ないので自宅に電話すると、何と朝寝坊した本人が出た。関係者と協議した結果、番組に穴を開けないために2時間遅れで対局が始まった。そして遅れて来た「武蔵」の櫛田が勝った。
  • NHK杯戦の対局は放送日の半月ほど前の月曜日(隔週)に、午前・午後に2本分が収録される。間の週は囲碁対局の収録日。午前の場合、渋谷のNHK放送センターの控室に対局者らが10時に集合。ただ対局の開始時間ではない。スタジオで収録が始まるのは約30分後。このタイムラグで以前は遅刻する棋士がいた。
  • 3月17日には棋王戦(藤井聡太ー伊藤匠)第4局も行われ、藤井が勝って3勝1分として棋王位を初防衛した。これでタイトル戦の連覇は驚異の21期。最近はタイトル戦の対局が週末に行われることが多く、当日はNHK杯戦決勝(藤井聡太ー佐々木勇気)の放送日と重なった。もちろん後者は事前に収録されていた。
  • 3月17日に放送されたNHK杯戦決勝(藤井聡太ー佐々木勇気)は、大激闘の末に佐々木が勝って初優勝した。佐々木は研究した角換わり腰掛け銀で優勢になったが、藤井に終盤で巻き返されて形勢評価値は[2ー98]に落ちた。しかし藤井に珍しくミスが出て逆転。佐々木は「涙が出るほど嬉しい」と喜びを語った。
  • 「藤井聡太の人気が沸騰している現代、企業などとの新スポンサーを確保して日本将棋連盟の財政を豊かにする」という声がある。部数や広告料の低下で新聞社の経営が苦しい現状で重要な課題だ。それで増収すれば、棋士の収入が増え、新四段の増員も可能。将来に向けて、今や曲がり角に差し掛かっている。
  • 日本将棋連盟は昔から「大家族主義」である。四段になれば最低保障(年間400万円?)で扶養する。原則として引退は約65歳で、棋士生命も長い(田丸は66歳で引退)。勝負の世界なのに、最低保障と長期雇用になっている。新聞社などとの棋戦契約金が安定しているから可能だが、将来のことは分からない……。
  • 「2ch名人」で四段昇段者の増員に反対コメントは、「四段を増やしても弱い棋士が増えるだけ」「大半のファンはトップ棋士以外に興味はない」「タイトル戦に出るレベルなら三段リーグを突破して当然」「棋士編入試験や次点2回で新四段はすでに増えている」など。将棋連盟の財政を心配する声もあった。
  • 「2ch名人」で四段昇段者の増員に賛成コメントは、「藤井聡太を倒すのは若い世代しかいない」「若い才能を入れて活性化すべき」「三段リーグ前後期の3位同士で四段昇段決戦」など。一方で「三段リーグの人数を減らすために、降段点を厳しくし、年齢制限を早める」という声もあったが、田丸は反対だ。
  • 田丸が提案した四段昇段者の増員について、「2ch名人」に賛否両論のコメントが寄せられた。私の本意は、厳しい制度の壁で有能な若者が埋もれることを危惧したものだ。デビュー戦から29連勝した藤井聡太は、三段リーグでは13勝5敗で、圧倒的に強かったわけではない。公式戦で鍛練して実力を伸ばした。
  • 「英次郎さんへのコメント返事」2019年の日本将棋連盟総会で順位戦の昇級規定が変更され、B2・C1の昇級者を増員(2人→3人)した。若手精鋭が台頭しやすい制度となり、20年度から実施された。これは18年度にC1で昇級を逃した藤井聡太のためではない。藤井は19年度(昇級2人)に全勝でB2へ昇級した。
  • 昔の三段リーグも今の三段リーグも、四段昇段者の倍率は約20人に1人と厳しい。今期三段リーグの出場者は45人で、競争原理を超えて異常だ。私見では、一定の人数以上なら四段昇段者を1人増やすべきだと思う。それには棋士たちの基本収入が少し減っても必要という、大所高所の考えが不可欠だが……。
  • 1972年3月21日。田丸は新人王戦で河口俊彦(写真右)と対戦した。この棋士デビュー戦で、後援者に贈られた羽織袴を着て臨んだ。そして、棋士人生の第一歩を勝利で飾った。後年に評論家として活躍した河口は、「才能は感じないけど、意外に勝つかも」と評したという。田丸は褒め言葉と解釈して励んだ。
  • 1971年度後期の三段リーグは奇跡的な拾い勝ちが何局もあり、関東リーグで11勝1敗で優勝した。2回目の「東西決戦」の酒井順吉との対局は、中盤で有利だったが終盤で形勢が入れ代わった。しかし秒読みに追われた酒井の悪手で、田丸が逆転勝ちした。終局直後は嬉しい反面、悪夢を見たような心境だった。
  • 田丸は1970年の「東西決戦」で敗れた以降、生活が一変した。酒を飲んで煙草を吸い、坊主頭が長髪になった。異性との交友にも気を取られた。青春に目覚めたのだが、将棋から逃げたのが現実だった。7期目の三段リーグに際した1971年の秋、これでは棋士になれないと自省し、将棋に打ち込む生活に改めた。
  • 田丸の奨励会時代は、東西に分かれた三段リーグ(人数は約20人)の優勝者同士が対戦し、勝者が四段に昇段する制度だった(年間2人)。世に言う「東西決戦」で、勝敗で天と地の差があった。田丸は1970年2月にも東西決戦に臨み、坪内利幸に完敗した。まだ19歳と若く、いずれ昇段できると思ったのだが……。