将棋アンテナ 棒銀くん
  • 田丸 雑学堂

    田丸 雑学堂 (田丸昇 九段)さんのXデータ

    @NoboruTama0505
    将棋棋士の田丸昇(九段)です。約50年の棋士人生で得た経験や知識を基に、将棋界の情報や裏話、雑学などを書きます。私が関心を持つ将棋以外の分野をたまに題材にします。若い頃に撮った写真や所有している写真も載せます。コメントをお待ちしています。
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    • 開始した日 2023年9月17日
    • 住所 東京都
  • 1975年の新人王戦決勝(桜井昇ー森安秀光)の対局は、「団地おばさん」のコメント通り、東京・市ヶ谷にある囲碁団体の日本棋院で行われました。当時は千駄ヶ谷の旧将棋会館の建設中でした。適当な対局室がなかったので、棋院の幽玄の間をお借りしました。
  • 写真(田丸の著書から転載)は、熱心な将棋愛好家で知られた「きんちゃん」ことタレントの萩本欽一さん。今年の誕生日に84歳になるヘビ年生まれだ。米長邦雄と弟子に指導をよく受けた。米長と対談したとき、「遊びに強ければ、仕事も強い」「将棋もコントもひらめきが大事」ということで考えが一致した。
  • 今年の誕生日に60歳になるヘビ年生まれは長沼洋八段。同じく48歳は大平武洋六段。同じく36歳は大石直嗣七段、阿部健治郎七段、折田翔吾五段、室田伊緒女流三段。同じく24歳は古賀悠聖六段、狩山幹生五段、森本才跳四段、水町みゆ女流初段、今井絢女流初段。年男、年女の棋士たちの活躍に期待したい。
  • 今年の誕生日に72歳になるヘビ年生まれは青野照市九段。写真(田丸撮影)は、1974年に千駄ヶ谷の鳩森神社の富士塚に登った21歳・四段の頃。序盤の研究に打ち込み、対振り飛車の急戦策「鷺宮定跡」を考案した。昨年に現役を引退したが、最年長記録で公式戦800勝を達成した。西尾明、八代弥の棋士を輩出。
  • 今年の誕生日に84歳になるヘビ年生まれは桜井昇九段(写真左=田丸撮影)。1975年に新人王戦で決勝に進出し、森安秀光に敗れた。中田宏樹、飯島栄治、横山泰明、村山慈明らの棋士を輩出。同じく84歳は安恵照剛八段。現役時代からアマへの指導に尽力した。瀬川晶司、永瀬拓矢、青島未来らの棋士を輩出。
  • 今年の誕生日で84歳になるヘビ年生まれは、田丸の兄弟子の西村一義九段。19歳で奨励会に入った晩学だが、1969年に五段でタイトル戦(王位戦)に初登場した。将棋連盟の理事を長く務め、棋界の発展に尽力した。弟子の藤井猛、三浦弘行はタイトルを獲得。写真(田丸撮影)は、2016年に叙勲記念の祝賀会。
  • 最年長の棋士で今年の誕生日で96歳になるヘビ年生まれは宮坂幸雄九段。写真は1960年代後半の頃。左から富沢幹雄、関根茂、山田道美、吉田紀代子(後年に関根と結婚)、宮坂。山田棋聖と吉田アマの記念対局の際の光景。山田は棋士同士の研究会を主宰した草分けで、富沢、関根、宮坂はそのメンバーだった。
  • 2025年の干支は「巳(ヘビ)」。将棋では「マムシのと金」の言葉のように、怖がられた生き物の印象が強い。ただ蛇は金運を運ぶと言われる。蛇の「脱皮」は、古い考えを捨てて新しいものに生まれ変わる意味。写真は、届いた年賀状の可愛い蛇と梅の絵柄。次からはヘビ年生まれの棋士、女流棋士を紹介する。
  • 田丸は正月2日、神奈川県厚木市に住む母親(写真左)を訪ねた。今年4月で98歳だが、いたって元気だ。戦時中の勤労動員の思い出には次々と話し込んだ。72歳の娘の家族と五世代で同居する生活は、とても安心できる。写真右は、昨年4月に生まれた玄孫。私の白髪に興味を持ったのか、じっと見つめられた。
  • 田丸は正月1日、兄弟子の米長邦雄永世棋聖の墓を詣でた。写真は、都内の寺で永眠している米長の墓所。2012年12月に69歳で死去してから12年間、将棋AIの驚異的進化、新星の藤井聡太の出現と大活躍、東西の将棋会館の新設など、いろいろなことがあった。今年も将棋界を天から見守ってくださいと祈った。
  • 吉永小百合さんは大内延介九段を応援し、NHK杯戦の対局では「大内さんが負けると思って見ます。勝つと思って負けると悔しいでしょ。解説者が大内有利と言っても信じません。だから勝つと本当にうれしい」。そんな変わった応援が功を奏し、大内は1976年にNHK杯戦で初優勝した。写真はある祝賀会の光景。
  • 吉永小百合さんが将棋を覚えた1970代半ばの頃、日曜日に放送されるNHK杯戦の対局の観戦を楽しみにしていて、「見る者をあれだけはらはらさせる面白さは、どんなスポーツにも負けません」と語りました。放送中はテレビの前に釘付けになり、トイレに行く時間も惜しんでお茶も控えました。
  • 吉永小百合さんは何事にも真面目で一生懸命、とのコメントは「SORA」さん。そんな性格どおり、将棋で好きな駒は「香」でした。いちど進んだら後に戻れない、一本気で不器用なところが、自分の気持ちや生き方に似ているからだそうです。
  • 大山康晴十五世名人と女優の吉永小百合さんの誕生日が一緒とのコメントは、「GO!」さん。偶然にも同じ3月13日生まれで、私は初めて知りました。
  • 推理小説家の斎藤栄は今年6月15日、91歳で死去。将棋を愛好し、1966年に「殺人の棋譜」で江戸川乱歩賞を受賞した。1979年の名人戦(中原誠ー米長邦雄)第4局で、中原が将棋史に残る「▲5七銀」の名手を指したときに観戦記を担当し、その感動を「将棋の神様が中原に乗り移ったように見えた」と綴った。
  • 漫画家の楳図かずおは今年10月28日、88歳で死去。「まことちゃん」「へび少女」などの作品で有名だが、無名の頃は名字の読み方を間違えられた。「うめず」が正しいが、右側の「某」の字から「ぼうず」と呼ばれた。「棋」の字と似ているので「きず」とも呼ばれた。少年時代は将棋の「山崩し」に興じた。
  • 落語家の桂米丸(四代目)は今年8月1日、99歳で死去。田丸は小学生時代、米丸の新作落語が好きだった。ラジオで聴いた「犬のくせ」を覚えると、学芸会で演じたものだ。新宿・末広亭の近くの酒場で弟子の桂米助と会ったときにそれを伝えると、後日に「米丸師匠が喜んでいました」との話でうれしかった。
  • 女優の山本陽子は今年2月20日、81歳で死去。写真は、1996年3月に都内の洋館で開かれた羽生善治と女優の畠田理恵の結婚祝賀会での光景。左から田丸、山本、女優の芦川よしみ。新婦とは以前にドラマで共演した。田丸は舞台「生きて行く私」で、作家の宇野千代を演じた山本の凛とした演技に魅了された。
  • 将棋を愛好した女優の吉永小百合は1975年5月、大山康晴十五世名人と六枚落ちで記念対局をした。写真(いずれも田丸撮影)上はその光景。吉永が見事に勝つと、大山は「将棋を覚えて半年にしてはお強い。筋もいいです」と称賛した。写真下は、中央が吉永、右は大山(左)と同じく対局した女優の日色ともゑ。
  • 元共同テレビ会長の岡田太郎は今年9月3日、胆嚢ガンで94歳で死去。1973年に15歳年下の女優の吉永小百合と結婚して話題になった。岡田は夫婦の絆として将棋を教えると、吉永はたちまち熱中した。やがて棋士の大内延介に習うようになった。岡田と大内は、時には夫婦同士でスキーやゴルフを楽しんだ。
  • 田丸は八代亜紀(写真はパンフレットより)が出演したコンサートに何回も行った。コロナ禍の頃は高齢者向けのオンラインコンサートを無料で開き、多くの人たちが視聴した。八代は昨年9月に膠原病と診断されて活動を休止した。入院中は快方に向かって復帰を目指したが、12月下旬に容体が急変したという。
  • 田丸は八代亜紀の歌で「なみだ恋」「おんな港町」「愛の終着駅」「舟唄」などが好きだった。1980年に「雨の慕情」がレコード大賞を受賞したのはうれしかった。当時、ある芸能関係者の伝手で、田丸への為書がついた八代の色紙をもらった。大事にしたのだが、引越しをしたときに紛失したのは残念だった。
  • 田丸は八代亜紀が1973年に歌った「なみだ恋」を聴いてファンになった。若い頃は新宿でよく飲んだので、「夜の新宿 裏通り」の歌詞は心に響いた。八代は熊本から15歳で上京し、銀座でクラブ歌手として働いた。当初はヒット曲がなかったが、夜の蝶に「きっと売れるわよ」と励まされて一歩を踏み出した。
  • 新聞記事でつい気になるのが死亡欄だ。死因や享年を自分と思い合わせてみる。この1年で最も衝撃だったのは、田丸と同じ1950年生まれの歌手の八代亜紀が昨年12月30日に73歳で死去したことだ。写真は、スポーツ紙に載った追悼記事。見出しのようにあまりにも急だった。田丸の個人的な思い出を振り返る。
  • 藤井聡太の母親は、奨励会の例会日に関西将棋会館に送り届けると、2階道場のベンチで待ち続けた。対局の合間や休憩時間に母子が会うことはなかった。夕方に藤井が2階に降りてくると、母親はその瞬間が最も緊張したそうで、表情で成績はだいたいわかったという。小学校卒業まで送迎は2年半も続いた。